公務員を辞めた経緯と理由の話①
kinです。
このブログはうつ病な僕の嘆きを主に記事にしてきました。
うつ病になると本当にネガティブになります。
毎日毎日不安が消えません。
未来が見えないことへの絶望や何も出来ない自分への苛立ちが常に付きまとっている状態です。
じゃあ何でうつ病になってしまったか。
もちろん自分の耐性の無さもあるけど、公務員の厳しい実態も原因としてありました。
そんな公務員の実態を織り交ぜながら、僕が退職した経緯を書いていきたいと思います。
「いろいろ考えましたが、退職します。」
今から7ヶ月前、課長に伝えた言葉。自分が何で公務員として働いているのか分からなくなり、退職と言う決断を下した。
わずか入社4ヵ月でした。
公務員の仕事を勘違いしていた
地方公務員は「街づくり」をしてる組織だとよく耳にすると思う。当時就活生の私はその言葉をとんでもなく勘違いしていた。
街づくり → 建物とか建てる計画したり、道路や公園とか整備して街の景観をよくする仕事かあ(^^)面白そうだなあ!
こんな風に考えて公務員を志望していた。
ところが・・・
入社後人事「配属先は生活支援課です。」
え・・・生活支援って何?
街づくりが出来ると思っていた僕は嫌な予感がした。
入社1週間後・・・
「なんだこの仕事まったく面白くない。つまらなすぎる・・・」
こんなことを思っていた。
公務員の仕事にやりがいなんて求めるなとか、楽しさなんてまったく無いって言うからそこまで期待していなかった。
けど、自分の興味の無い仕事をするということがここまで精神的にキツイものだとは思いませんでした。
全く興味の無いことにやる気を出して取り組むなんて事はとても無理な話。
このときから公務員の仕事の幅の広さを実感し、仕事に対してのモチベーションが一気に低下していった。
公務員という仕事に対して適性が無かった
僕は極度のコミュ障である。
昔から人と仲良くなるのに相当な時間を費やすし、初対面で気軽に喋ることなんて絶対出来ない。
話が続かない→気まずい雰囲気になが得意技でした。
公務員はサービス業。
そんな大事なことを入社するまで認識していませんでした。
本当に後悔。
公務員になって配置されたのは窓口に一番近い席。
しかも支援課ってことで住民来るわ来るわほとんど来庁者が途切れることは無かった。
もうそれだけでコミュ障の僕には大変なストレスだった。
その他にもこの支援課という仕事場は
・兎に角住民のクレームが多すぎる。
・怒声罵声が常に飛び交っている。
これがかなり精神的にキてました。
豆腐メンタルにはすごくきつい仕事場です。
更に運が悪かったのか、僕の係に悲劇が訪れます。
・僕が入社してすぐ上司がうつ病で倒れて休職する。
・その分先輩方が忙しくなり職場の雰囲気が悪くなる。
・業務量が多すぎて毎日13時間の労働。(隣の係は毎日定時ダッシュ)
この時点で、仕事に対する不安しかありませんでした。
こんな環境の中長時間怒鳴られる仕事を毎日続けていました。
3ヵ月もすると仕事に行く前も仕事中も仕事が終わっても休日も24時間ずっと仕事への恐怖が離れなくなり、何をしても楽しめない状態に。
ていうか何も出来ない状態になってしまいました。
いつのまにか何のために生きているのか分からない。
いっそ死んだほうがまし。
そう思うようになっていました。
そうして退職を考えるようになりました。
つづく