公務員を早期退職した私の末路
こんにちは。
始めましての方は始めまして。それ以外の方はお久しぶりでございます。
kinです。
このブログも一年以上更新をしていなかったみたいです。
しかし、今でも平均して50~70人の方が閲覧してくれているということに非常に驚きです。
公務員の退職に関する記事が読まれている辺り、やはり公務員といえど退職を考えられている方は少なくないのかもしれません。(ほんの数十人ですが・・・)
こんな何の役にも立たないブログを訪問してくださって本当にありがとうございます。
さて今回何故長い間放置していたブログを更新するかといいますと、私なりのけじめをつけようかと思いまして、公務員を退職したやつの成れの果てを皆さんに知ってもらいたくて書きました。
おそらくこの記事を最後にもう更新することは無いと思います。
興味を持ってくださった方、お時間ある方はお付き合いください。
公務員(市役所)を辞めた理由とか経緯とか
そもそも何で私が公務員を退職したかといいますと、一言で言えばうつ病になってしまったからなんです。
たぶん私自身子供すぎたんです。
私は世間一般で言う人見知り・コミュ障の方より二周りぐらい人見知りでありコミュ障なんだと思います。
基本的に初めて会う人とはほとんど話すことが出来ません。
仲良くなった人となら普通に話すことは出来ますが、それでも長時間話すことが困難というコミュ障っぷりです。
そんな私は公務員の市役所で窓口に配属されました。
とても厳しかったですね。訪れてくる人の中には公務員を目の敵にしている人も結構いてそういう人たちからはかなり嫌味を言われます。
そういうのを上手く聞き流してひたすら謝り続ける、こんなやり取りは日常茶飯事で起こっていました。
私は昔から怒られるとすぐに泣いていました。
泣かないように頑張っているのですが、すぐに涙が出てきてしまいます。
これって何が原因なんでしょうか?
友達にはいくら怒られても泣かない人もいてそれがすごくうらやましかったのをはっきりと覚えています。
たぶんそれ以前で最後にまともに怒鳴られて怒られたのは高校生だったと思いますが、そのときもすぐに涙を流してしまいとても恥ずかしかったのを覚えています。
公務員の窓口はよく怒鳴られ怒られます。
その相手は上司とかではなく住民にです。
窓口、電話問わずとても怒鳴られます。
私はそのたびに涙を流し、またその涙を流したことに嫌味を言われ、恥ずかしい思いやら悔しい思いやら、情けない思いやらいろいろな感情が混ざり合ってただ怒鳴られ続けました。
精神的に未熟だった私は公務員(接客)には向いていなかったのです。
分かっていたはずなのにこの仕事を選んでしまった、失敗ですね。
長時間労働もあいまって精神的に参ってしまっていた私は一刻も早くこの仕事から遠ざかりたい、それしか考えなくなっていました。
うつ病になると本当にやばくなります。
当時の私の状態を周りの人に教えてもらったとき半沢直樹に出てくるやばいときの近藤さんみたいになってたと言われます。笑
自分ではあんまり覚えてないです。とにかく恐怖、仕事が終わってからも家に帰ってきてからも土日も仕事への恐怖しか考えられなくなっていました。
私は一刻も早くやめたかったのですがもちろん回りはからは全力でとめられました。
今思えば本当に周りの言うことを聞いておけばよかったと後悔しています。
朝電車内で意識を失って倒れたり、仕事中トイレにゲロをぶちまけたとしても、人事課から休職願いを怒鳴られながらに拒否されたとしても、もっともっと辛いことがあったとしても辞めるべきじゃなかったと心から思います。
この退職と言う選択が私の転落人生の始まりでした。
公務員を退職した後
最後の日に自分の机のものを片付け、市役所の玄関を出たときの気分をまだはっきりと覚えています。
本当にすがすがしい気分でした。
終わったんだ、これでもうあの恐怖をあじあわなくていいんだ、、、先のことなんて何も考えず不安にも思わずその気持ちが心を満たしていました。
空を見上げるとそこには青空が広がっていました。
その後の私はというと部屋では一日中体を起こすことが出来ない日、急に不安に襲われて涙が止まらなくなったり発狂しそうになったり食べたものを戻してしまう日、寝たいのに全く寝れない日、体に毎日必ず状態異常が起こっていました。
辛かったですが、この状態は数ヶ月後には回復してきます。
それから友達と飲みに行ったり、彼女と出かけたりすることが出来るまでになりました。
私は病気になったこと、退職したことを友達には話していません。
友達はとても優秀な人が多く、皆すごい会社でしっかり働いていて頑張っていて、、、
学生時代に変に頑張っていた私は自分のこの醜態を言うことは出来ませんでした。会っても嘘をついて話すばかり。
やっぱり友達と会って話すことといえば仕事のこと、恋愛・結婚のこと、学生時代の思い出とかでした。仕事のことは嘘をついているのでなかなか話せないし回りが頑張ってどんどん成長していく話を聞くのは本当に辛い。恋愛・結婚のことは仕事にも付いていないからどうしようもなく、まして結婚なんてもってのほか。学生時代の話も過去に輝いていた時代を思い出して今の状況に絶望する。
そのうちだんだん嘘をつくことも限界になってきて、友達の誘いも断るようになって、いつの間にか誘われることもなくなってしまいました。
私は今年の初め辺りまで付き合っていた恋人がいました。
振られるのは当然ですけど。
学生時代からの彼女で、私が退職しても、精神的におかしくなっても支えてくれてそばにいてくれて本当に感謝してます。
一方でなかなか再就職できなくて、結婚を目指せなくて、こんなダメ人間と付き合ってていいものかと思っていましたが、それでも退職して1年半以上一緒にいてくれて、なのに別れる結果になってしまってすごく申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんなに尽くしてくれたのに時間があったのに何も出来なかった申し訳なさ悔しさ別れた悲しさが今でもあふれて絶望してます。
全部自業自得なのに。
私は家が貧乏だったこともあって奨学金を借りて大学に行きました。
借金があるのに仕事をやめてしまったのです。
しばらくは貯金から返済していたのですが、つい先日貯金が底を付き返済が出来なくなってしまいました。
まだ数百万残っているのに返済が出来ない状態になってしまいました。
督促状がものすごい数届いていて恐怖しかありません。
返すあてもありません。絶望しかないです。
こんな状況ですので両親は毎日怒鳴りあいの喧嘩をしています。
トラウマがここまで酷く残ってしまっているので何も出来ずに私は怒られ続けているだけです。奮起することも出来ず、言い返すことも出来ず、ただただうつむいています。
公務員の経験から「客」と接することが完全に出来なくなってしまいました。
これまで何度もバイトをしようと考えましたが、電話をして採用寸前になるとわけのわからない不安に襲われて夜も眠れなくなってしまい、お断りをするという状態です。
退職してもうすぐ二年になります。
これだけ空白期間が開いてしまうと、もはや書類選考すら通過できなくなります。
かといってトラウマが消えないのでどうしても職種を選んでしまいます。
それでも今までに応募した会社の数は500は越えると思います。
落ちるたびに職務経歴書の書き方を見直して、応募するたびに志望動機を位置から書き続けて、、、もう疲れました。
最後に
「友達も彼女もいなくなって家族が崩壊寸前になり多額の借金だけが残った」
これが公務員を早期退職したやつの末路です。
本当に辞めるんじゃなかった・・・狂っても続けるべきだった・・・
仕事選び、退職は本当に大切な決断だと思います。
一歩間違えたら私のように取り返しの付かない状況になってしまいます。
皆さんはここまでどうしようもなくなることが無いよう注意しながら生きてください。